世界に色が戻ったという話

例えばそれは確かに比喩でしかなくて、私が今見てる世界にはちゃんと色がついているわけだけど、ずっとそうだったわけだけど、それでも私の世界から好きなひとがいなくなった途端私の世界から色が消えたわけなんですよね。見えてる景色にも食べてるものにも何も感じずただ淡々と日々をこなすただそれだけ。とにもかくにもつまらない、面白くないわけですよねなにもかも。友達と遊んでいて楽しい、という感覚はあれどそれが生きる力に繋がるのかと言われたら果たしてって感じじゃないですか、しらんけど。私はそうなんですよ、私はね。

何がどうって私は、私という人間は、よくも悪くもすぐに好きなひとを世界の真ん中に置いてしまうようなところがあるから。世界の真ん中、私の中心。
で、「よくも」の部分はまぁそのひとがおったら自分が例えどんな状況でも、例えばまぁ右足一本ぐらいもげてたとしてもヘラヘラ笑っていられるくらいの(人はそれを狂気と呼びます)、そして「悪くも」の部分はだからそのひとがいなければなーーーんにもなくなってしまうところで、私ってやつは本当に、本当に本当に、これまた念押ししなければならないほど本当に、クズの極みなわけですよ、みんな知ってる~?私ってばキングオブクズなんだよ~?、
というわけなので、そんなドクズの私が頑張れる唯一の理由って自分のためとかそんなんじゃなくてただ一人その好きなひとのためなんですよね、で、ここでひとつ問題、これも「悪くも」の部分に入りますが、その好きなひとっていうのが、アイドルだったりするわけですよ。

私の周りにはそもそもアイドルオタクの友達ばかりで、当たり前のようにアイドルを好きなひととして話す毎日で、それが当たり前でないことであるということに鈍化していく日々、でも私にとってその日々は心地よく、アイドルオタクになってからの人生のほうが、今まで生きてきたどの時間よりも価値があるし、今まで生きてきた人生のこと、思い出せと言われてもちょっとよくわからないです、ととぼけた顔で言うしか出来ないくらいには、アイドルオタクとして生きてきた。生きている。

なぜここまでアイドルに傾倒するようになったのかという話はまたまったく別の話になる上に、軽く大阪くらいは沈没させてしまうくらいには重い話になるのでやめておきます。
そういった経緯(略)で、アイドルは私の生活には欠かせなく、アイドルそのものへの情熱もまた、関西圏沈没させてしまうくらいには重い話になってくるわけです、今回はそういうことを書きたいわけではないのでこれまた略、そんなこんなで、私はとあるひとに出会って今に至っているわけです。

まぁ、話が脱線することってよくあるじゃないですか、私は話がうまいほうではないので脱線に脱線を重ねてしまうわけですが、ひとまず冒頭に戻る。

世界で一番好きなひとが、世界(この場合、私の)、からいなくなる、ということが、あったわけですよ。この世界のどこかに存在していたって、それがなんだというのか。それがどうしたというのか。私の前からいなくなってしまえば、私の世界からはいなくなってしまうのだと、だったら、私の「世界」は成り立たないじゃないかと。知ったこっちゃないんですよ、私の世界は、私だけのものなわけで、それは、だから、好きなひとにはまったくもって関係のない話で、これはただの八つ当たりで、そんなことはわかっている。でも言わせてくれよと、だって、こんなにもだいすきなのだから。こんなにも悲しいのだから。

と、そんなこんなで、(私の)世界から好きなひとがいなくなり、(私の)世界から色が消え、淡々と息だけをする日々、息さえも苦しい日々、大袈裟?、そうやって笑うひとのほうが多いかもしれないけど、世界で一番好きなひと、大切なひとに会えなくなったらわかるのさ。息さえ出来ない。

それでも私が、それほどまでに出来損ないでクズの私が、それでも頑張らねばと、生きることを諦めないぞと、(これは比喩だけどね)、そう思って淡々とでも日々をこなしてきたのは、好きなひとが希望を残してくれたからです、そう、だから、またいつか会えると。

もはや大袈裟だって笑ってしまってくれていい。だって会えなかった日々って、たった4ヶ月。たった4ヶ月で生きるだ死ぬだ、大袈裟だって、笑ってもらったっていいんですけど、だから、何度も言うけど、私にとっちゃ世界で一番好きな人、世界で一番大切な人、そのひとがいなければ世界が、成り立たなかったんだよ。

そういう、もう、体感的には100年くらいの感覚の4ヶ月を過ごしたわけです、100年ですよ100年、いやもう浦島太郎やん、体感だけでよかった。老けなくてよかった。そんなわけで今だからこんな風に茶化せてるわけですが、その時は1日1日をこなすのに必死だった、(待つのを)やめてしまえれば楽なのではないかと思ったことだってあった、ただそう思ったところでやめられるわけがないのだよ、だってこんなにも大好きなのだから。私の話は最終的に、好きな人が大好きだ、という話で終わるだけなので、今からオチも言っておきます、ただそれだけの話です。クズな私に唯一あるものが、好きな人を好きだと思える気持ちだけなのです。それが嬉しいって話です。

で、まぁ、そんな100年を越えて(4ヶ月です)、まぁいろいろあったっすよ、そりゃあ、人間ですし、生きてるわけですし。軽く一口に100年(4ヶ月です)と言っても、まぁいろいろあったわけ~。(急にフランク)でもそれはもういい、もうどうでもいい。だって帰ってきてくれたから。だってもう振り返る必要がないから。だってもう目の前にいるのだから。世界で一番好きな人。


会えた日の話をしたかったのに、長いねん。前置き長いねん。大体いつも話長いねん。簡潔にして!(突然自分への駄目だし)

そういう紆余曲折を経て、100年ぶりに、8月5日。
私は世界で一番好きな人に、再び会うことが出来たわけですね。
それで、そんなに好きな人に会って、どう思ったか?って、それ、どう思ったんでしょうね。それが今もわからなくて、まぁ実際問題全く実感が沸いてなくて、だからこうやって、本当に会えたのだという事実を、文字にして、書くことで、実感しようとしているわけなんですよ。
8/5のこと、覚えてるかと言われたら、断片的に。と答える。
ただ、ステージに立つ好きな人が、あまりに好きな人で、あぁこれが私の好きな人だなぁと思った記憶は、ある。とても、ある。ステージに立つ好きな人が大好きなのだ、と、思った記憶が、とてもある。

何度も言うけど私はアイドルが好きで、だから、ステージに立つその人を見るのが一番好きで、だって、なぜって、キラキラしているから。私はキラキラしているものを見るのが好きで、例えば花火、例えば星、例えば太陽が反射する海、そういう、キラキラしてるものがすごく好きで、でも、やっぱり一番好きなのがステージに立つアイドルで、例えであげたどんなものより私には一番キラキラして見えて、もちろん、アイドルのすべてがその私の思うそれに当てはまるわけではないのだけど、私の目には私の好きな人が一番キラキラして見えるわけで、誰がなんと言おうと、私の目にはそう見えるわけで、だから、一番好き。
だから、ただ純粋に、ただシンプルに、ステージに帰ってきてくれたことが嬉しかった。
なんか、朧気な記憶で申し訳ないのだけど、映像が流れていて、音楽がなっていて、そして登場した、世界で一番好きなアイドル、を、見た瞬間に、パーーーーンッ!って、世界に色が戻った、キラキラが戻って、涙が込み上げてきた。いろいろあって、もう二度と泣かないぞ!と思っているので、泣きませんでしたが、ちょっと泣いたけど、泣いたんかい、でも、そんな私でさえも、そういうんじゃないなって、思うくらいに楽しいばっかりのライブだったんですよね。いやぁ、楽しかった。なんか、やっぱ緊張してたんですけど、いろいろ。でもなんか、なんかなんかうるさいな!なんか、楽しいのほうが、大きかった。ハッピーな空間だった、私思うんですよ、私の好きな人、人をハッピーにする天才だなって、だから、あの空間にいた人みんなハッピーやったんじゃないかなって、思うんですよ。
とにかく楽しくて、幸せだったんですよ、そのイメージが残りすぎてて、そればっかりになってしまうんですけど。

ステージで、好きな人が、相も変わらずキラキラした笑顔で笑ってて、この人を好きでいてよかったなって思った、シンプルに、この人を応援出来て幸せだなって思った、これからも応援出来るチャンスを私に与えてくれて幸せだなぁって思った、幸せなオタクだなぁと思ったわけです。


でね、その日からもう数日が経って、思ったことがあって、それが、だから、毎日見続けてた同じ景色にも色がついてるって。おまえ~!どんだけ単純やねん~!って思うと思うんですけど、思えば?って感じです(すぐ喧嘩売んな!)
家から職場までのキツめのしんどい上り坂の、上りきったところに花が咲いてるって、最近やっと気づいた。そんでその色を見て、綺麗だと思った、ただそれだけのことなんです、この記事書こうと思ったの。
ただそれだけのことなんですけど、ただそれだけのことじゃなかったんですよ、私にとって。
世界に色が戻ったこと、私の世界に好きな人が戻ってきたこと、好きな人を好きだと思えること、全部全部当たり前じゃなくて、全部全部特別で、本当にありがたいことで。
好きな人がいるだけで、毎日同じことの繰り返しでも無意味じゃないって思えるんですよね、なんかものすごく恋愛に浮かれた乙女のお話みたいなんですけど、ただのアイドルにハマったオタクのお話です。


何が伝えたかったかって、ショーナちゃんおかえり。相も変わらず本当に、本当に大好きだ、これからまたよろしく、そう言えることがただただ嬉しい。